王宮のプレイボーイ
ガーレン・フォリー著
960円(本体914円)/2010年1月27日発売
原題:PRINCE CHARMING
アセンシオン・トリロジーの第3作です。第2作から11年後が舞台になります。『プリンセスと暗殺者』でヒロインとなる王女セラフィナの、弟である皇太子ラファエルがヒーローとなります。
あらすじ
19世紀初頭、地中海のアセンシオン王国。皇太子ラファエルは、馬車で移動中、<覆面の義賊>と呼ばれる盗賊に襲撃される。だが、近衛兵と合流すると逆に皇太子が義賊を追いかける側に。義賊のリーダーは、少年に変装したキアラモンテ公爵の令嬢ダニエラだったが、公爵邸に逃げこんで令嬢の姿に戻り、訪れたラファエルには正体を隠し通した。その後、王に会見したラファエルは、王からある条件を言い渡される。王が選んだ五人の花嫁候補から、ひとりを選んで結婚すること。そうしなければ王位継承権は、弟のレオ王子に与えるという。だが、ラファエルの心にあるのはダニエラだった。ラファエルは彼女を誘惑するが、皇太子の派手な恋愛遍歴を知るダニエラは彼を避けようとする。一方、ラファエルは、あることをきっかけに彼女が義賊のリーダーであると気づいて……。華やかな王宮を舞台にしたヒストリカル・ロマンス!
冒頭のご紹介
1
一八一六年、アセンシオン王国
歌劇『ドン・ジョヴァンニ』の名曲、『お手をどうぞ』の旋律に合わせて、村娘ツェルリーナの素朴な歌声が劇場内を包んでいた。愛を語り合うテノールとソプラノが優美ならせんを描いて上昇していく。
しかしステージに注目している客は皆無だった。オペラグラスの動きやひそひそ話から、めかしこんだ観客たちの注意が、舞台右にある中二階のボックス席に釘づけであるとわかる。キューピッドや飾り壺、リボンをモチーフにした豪華な彫刻が施されたその白亜のボックス席は、未来永劫、アセンシオン王家の専用となっていた。
カーブを描いた大理石の手すりにひとりの男が身じろぎもせずに寄りかかっている。日に焼けた顔からは感情らしきものが読み取れない。舞台照明の光が認印つきの指輪に反射して、高貴な顔と、うしろで束ねられたダークブロンドの髪の上で踊っていた。
オペラが始まってから初めて、男が身動きした。聴衆が息をのむ。男は上等なベストのポケットにゆっくりと手を入れ、平べったいブリキの缶からペパーミントキャンディを取り出して、口に含んだ。
男がキャンディをなめる様子を見て、貴婦人たちが頬を染め、扇子をぱたぱたと動かした。
〝ああ、退屈だ〟男はうつろな目で考えた。退屈すぎて死にそうだった。
男の周囲を固めているのは、贅沢な身なりをした身分の高そうな男たちだ。伏し目がちで、緩慢な態度をとりながらも、眼光は鋭く、上着の下に武器を忍ばせている。衣服からはかすかにアヘンの香りがした。
「殿下、お飲物を」右手にいる男が声をかける。
アセンシオン王国の皇太子、ラファエル・ジャンカルロ・エットレ・ディ・フィオーレは、舞台上の美しい愛人に眠そうな視線を向けたまま、指輪をした手をさっと振って、差し出されたワインを下げさせた。酒を飲みたい気分ではない。ダンテの書いた地獄など嘘っぱちだ。
無音の辺獄で永遠に待ち続けるくらいなら、地獄の炎や臭気に耐えるほうがよっぽどましだとラファエルは思った。
偉大な王の息子に生まれただけでも相当なプレッシャーだというのに、ラファエルの父親は不死身としか思えなかった。父王の死を願うつもりは毛頭ない。しかし、明日には三十歳を迎えるわが身を思うと、暗澹たる気分になるのはどうしようもなかった。
時間は飛ぶようにすぎていくというのに、自分はどこへも行きつけない。ぼくの人生は十八のときから停止しているのではないだろうか? 『ドン・ジョヴァンニ』の力強い旋律がしだいに意識から遠のいていく。同じ友人と同じ遊びをして、ひたすら浪費を繰り返す日々。ラファエルは皇太子という身分にがんじがらめになっていた。
これでは父の操り人形だ。自らの進むべき道を探すことなどできない。世間や石頭の長老どもに一挙一動を取り沙汰され、なにをするにも投票と承認を要求される。こんな生活はうんざりだった。これでは皇太子ではなく囚人だ。
自分の学歴や能力に見合う職務を与えてほしいと希望したこともあったが、父は願いを聞き入れてくれなかった。年老いた王は、息子にいかなる権利も分け与えようとしないのだ。
こんなふうに思い悩むことすら無意味だった。いばらに囲まれたガラス張りの棺のなかで眠らされているような気さえする……。
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