プリンセスと暗殺者
ガーレン・フォリー著/森野そら訳
940円(本体895円)/2009年9月27日発売
原題:PRINCESS
アセンシオン・トリロジーの第2作です。第1作から約20年後、第1作のヒーローとヒロインの間に出来た娘・セラフィナがアセンシオンの王女として登場します。ヒーローは第1作にも少し登場したダリウス・サンティアゴ。セラフィナとダリウスの身分違いの恋が切なく、痛ましく、ドラマティックに描かれています。
あらすじ
舞台は19世紀初頭、イタリアのアセンシオン王国。地中海に浮かぶ、この島国の王女セラフィナは、国王の側近であるダリウス・サンティアゴに愛の告白をした。だが、国王に忠誠を誓うダリウスは、王女の愛に応えるわけにもいかず、異国での任務を理由に去ってしまう。
3年後、ナポレオンのセラフィナ誘拐計画を知ったダリウスは、王女を守るため、アセンシオンへと戻ってくる。
王女は人里離れた別荘へと身を隠すことになり、はからずもダリウスは王女の警護役として同行することになる。ひとつ屋根の下で身分ちがいの恋に苦しむふたり。セラフィナは軍事援助を得るための政略として、ロシアの公爵との結婚が決まっていた。結婚式を目前に、たがいの想いが燃え上がり、抱きしめ合うが、ダリウスは絶対に一線を超えなかった。ダリウスはある決意をしていた。成功すればロシア公爵との結婚を阻止できるうえ、アセンシオンをおびやかすフランス皇帝も消すことができる。だが、生きて戻れないかもしれない……。破滅的な危機をふたりはどう乗りこえるのか? 極上のヒストリカル・ロマンス!
冒頭のご紹介
1
一八〇五年五月
庭園の迷路は、激しい息の音に満ちていた。高い生け垣が小道の両脇から迫ってくる。ドクドクと脈打つ音が頭の中で鳴り響き、外まで聞こえるような気がする。王女は、じりじりする思いで前へ進んでいた。芝生が裸足の指先をひんやりくすぐる。胸の動悸が収まらない。もう何度、後ろを見ただろう。体中がふるえ、手から血が流れている。きっと、フィリップの顔を殴ったとき指輪の角で傷つけたにちがいない。それでも、迷路に逃げ込めたのは幸いだった。助けは呼べない。三人の男に聞きつけられてしまう。
夜空には雲がわずかにたなびき、雨まじりの微風が吹いている。こんな夜、外に出ている人はほかにいないだろう。蝉の声を突き抜けるように、ふとメヌエットが聞こえた。広い庭園の向こうから流れてくる舞踏会の音楽だ。王女の婚約を祝う舞踏会。婚約者は出席できなかった。
ハッと顔を左に向ける。生け垣の向こうから物音がした。
あの男がそこにいる。ついさっき飲んだワインの酸味が喉の奥からこみ上げてきた。
長身の姿が見える。握りしめた拳銃も。きっとこの白っぽいドレスも枝ごしに向こうから見えているだろう。王女は腰をかがめて静かに歩いていった。
「こわがることはありませんよ、王女様」数列離れた生け垣から、アンリのやさしげな声が聞こえた。「傷つけたりしませんから。出ていらっしゃい。逃げられませんよ」
彼らは二手に分かれて囲い込もうとしている。王女は嗚咽をこらえ、くじけかけた気持ちを奮い立たせた。どちらの道を選ぶべきか。慣れた迷路なのに怖くて方向がわからない。
小さな中庭の噴水から心地よい水音が聞こえる。あれを頼りに方角を確かめよう。ぎゅっと手を握りしめたまま茂みに身を隠し、少しずつ小道を進む。道が尽きたところで茂みに背を押しつけた。怖くて角が曲がれない。王女は祈りながら心を静めようとした。胃がキリキリする。
彼らの狙いは何なのだろうか。
これまで言い寄られたことは何度もあったけれど、力ずくで捕まえようとする者はひとりもいなかった。銃を突きつけた者もいない。
ああ、神様。
叫び出したいのに、恐ろしくて声も出ない。また風が吹き始めた。芝生とジャスミンのにおいがする。そして、男のにおいも。
近づいてくる。
「王女様、恐れることは何もありませんよ。友だちじゃありませんか」
王女は駆け出した。長い黒髪を風にそよがせて。雷がゴロゴロと鳴り響き、夏の嵐の気配が立ちこめた。小道の交差するところに出たとたん、王女は足を止めた。またもや体がすくんで角を曲がれない。フィリップか、金髪のアンリが待ちかまえていたらどうしよう。心の中で昔の家庭教師の言葉がよみがえる。〝大胆な行動を慎まないといつか大変なことになりますよ〟
二度と大胆なことはしない。王女は心に誓った。むやみに人に気を許したりしない。
胸がドキドキしている。彼らがやって来る。もうこれ以上ここにいられない。
これでは囚われたも同然だ。逃げ道はない。
そのとき、別の声が聞こえた。やっと聴きとれるほどかすかな声。
「プリンセサ……」
王女は声をあげて泣きそうになった。空耳ではないと心から信じたい。イタリア語の王女ではなくスペイン語で〝プリンセサ〟と呼びかける人間はただひとり。
まさに今、彼が必要だった。美しい策略家サンティアゴ。
彼だけが、この悪夢から彼女を救い出すことができる。けれど今、情報収集と大使警護の王命を帯びて、新たな反ナポレオン連盟が結成されつつあるモスクワにいるはずだ。
ごう慢な異邦人ダリウス・サンティアゴは恐怖を知らない。何でもできる男。王女は信じていた。もう一年近く会っていないが、いつも心の片すみに彼がいる。尊大な微笑みを唇に浮かべ、漆黒の瞳を鋭く光らせて、はるか彼方からこちらを見つめているような気がする。
「もう追いかけるのにも飽きてきたよ、お嬢さん」アンリが警告した。数列離れた生け垣の向こうで何かが動き、乱れた金髪が見えた。すると、フランス人が足を止めた。小首をかしげて耳を澄ましている。
目を見ひらき、声を出すまいと両手で口を押さえたまま、セラフィナは後ずさった。髪を引っぱられた瞬間、悲鳴をあげそうになったが、ふり返ると茂みに髪が引っかかっただけだった。
「プリンセサ……」
気のせいじゃない! でも、どうして彼がここに? セラフィナはあたりを見まわした。
わたしが危険な状態だと気づいてくれたの? 今もふたりの絆は強いということ?
そして、セラフィナはサンティアゴの存在を感じとった。
「中庭まで行くのです」暗く現実離れしたささやき声が教えた。
「ああ、よかった」セラフィナはそうささやいて、目を閉じた。気分が悪くなるほどホッとしていた。あの人が来てくれた。
もちろん来ないはずがない。
セラフィナを愛さなくとも、王家の娘を守るという名誉に縛られているのだから。
ダリウス・サンティアゴは王に最も信頼されている男であり、スパイの元締めであり、暗殺者だ。セラフィナの父に対して彼は絶対的な忠誠心を抱いている。イタリアの小さな島国アセンシオン王国と王家を守るために汚い仕事が必要となれば、ダリウスは静かに買って出る男だった。その彼がここにいる。つまり、セラフィナを誘拐しようとするフィリップの企みは、思ったより重大な意味を秘めているということだ。
セラフィナは口もとから手を下ろした。まだ呼吸は乱れているが、毅然とあごを上げ、ダリウスの指示を待つことにする。
「中庭へ行ってください、王女様。急いで」
「あなたはどこ?」あえぐ息がふるえている。「助けて」
「近くにおりますが、おそばには行けません」
「お願い、助けて」泣き声を押し殺そうとして息がつまりそうだ。
「しーっ……」ダリウスがささやいた。「中庭は内側です」
「迷ってしまったの、ダリウス。わからないわ」抑えていた涙があふれて目が見えない。セラフィナは生け垣の隙間に目を凝らし、ダリウスの姿を探した。
「落ちついて。勇気をお持ちください」静かにさとすような声だ。「右に二回曲がって。すぐ近くです。そこでお会いしましょう」
「わ、わかったわ」セラフィナは声を絞り出した。
「さあ」ダリウスのささやきが消えた。
しばらくの間セラフィナは体を動かせなかったが、やっと恐怖を押しのけて歩きはじめた。煉瓦敷きの小さな中庭へ向かうものの足はふるえ、すりむいた膝が焼けつくように痛む。突然、草に足を取られてすべってしまった。絹のドレスは霧で湿り、膝のあたりで裂けていた。音をたてないように歩くのはひどくつらく、ふるえているせいで自ずと動きは鈍っている。それでもセラフィナは、かろやかな水音を頼りに忍耐強く足を前に進めた。
一歩進むごとに心の中で彼の名を唱える。そうすれば姿が現れるかのように――ダリウス、ダリウス、ダリウス。最初の曲がり角だ。
勇気を出してあたりを見まわす。
大丈夫。
セラフィナは自信を強めて先に進んだ。幼いころ見守ってくれたダリウスの姿が次々と心をよぎる。大好きな騎士は厳しい表情を浮かべ、いつも彼女をなだめて守ってくれた。けれど、セラフィナが大人になってしまうと、何もかも望みどおりにはいかなくなった。
ダリウス、あいつらからわたしを守って。
前方に目を向ける。左側の生け垣の壁がとぎれて別の小道と交差していた。あの先に行かなければ。追っ手に見つかりませんように。セラフィナは祈った。生け垣の端まで行きついたとき、ためらいが生まれ勇気が萎えた。
一瞬、目を閉じて祈りを唱えてから、セラフィナは急いで小道を渡った。背後にちらりと視線を向ける。二十フィートほど離れたあたりで、フィリップの御者がうつぶせで倒れていた。ぴくりとも動かない。降りそそぐ月光に針金がギラリと光った。絞め殺されたのだわ。そう気づいた瞬間、吐き気に襲われた。ダリウスがあの道を通ったのだ。
こわばった足どりで前へ進む間も、冷たい恐怖が体を伝っていく。蝉の鳴き声が高まり気が変になりそうだ。小道の端まで行きついたとき、セラフィナは顔をしかめ、激しい葛藤と戦った。勇気を出すのよ。角を確認しなくちゃ。なんとか顔をふり向ける。
誰もいない!
中庭の入口は、小道をさらに進んだ突き当たりにある。もう見えている。もうすぐだ。あと一回、生け垣の切れ目の道を渡ればいい。
荒い息をつきながら、素足で芝生をかきわけ進んでいく。中庭の入口がみるみる近づいてくる。雨のしずくがポトリと顔に落ちた。雲が黄金色の半月を隠している。
「こっちに来るんだ、このあま!」凄みのきいた声が響きわたった。
セラフィナは悲鳴をあげて背後を見た。フィリップだ。角を曲がってやって来る。
必死で道を渡ろうとしたそのとき、交差する道の向こうからアンリが猛烈な勢いで駆けつけ、彼女の体を羽交い締めにした。セラフィナは叫んだ。フィリップが走ってくる。だが、ダリウスが闇の中から音もなく現れ、狼のように敵に飛びかかった。
アンリが叫び声をあげてセラフィナから手を離し、ダリウスに応戦した。セラフィナは逃げた。ドレスが裂けるのもかまわず、泣きながら必死に中庭へ走る。だが次の瞬間、煉瓦につま先を引っかけ、転びそうになった。それでも、噴水の脇を通りぬけて暗がりに飛び込んだ。
セラフィナはしゃがみ込んだ。どうかフィリップが追いかけて来ませんように、と祈りながら。だが、祈ったとたんフィリップが現れた。生け垣の間にある入口に立ちはだかっている。
フランス人は息を荒げ、すぐさま王女に気づいた。ハンサムな顔が醜くゆがんでいる。大またで近づくと、彼は乱暴に王女を立ち上がらせた。セラフィナは叫んだ。フィリップが彼女の体をくるりと回して喉に短剣を突きつけるやいなや、ダリウスが入口に駆け込んだ。
セラフィナは泣きながら彼の名を呼んだ。
フィリップの手に力がこもる。「黙れ!」
ダリウスは即座に足を止めた。荒い息をつきながら状況を見極めている。暗く燃え上がる漆黒の目が地獄の炎のように闇を切り裂いた。稲妻がピカッと光を放って闇夜をあざやかに照らし、一瞬、ダリウスの浅黒くエキゾチックな美しい姿を浮かび上がらせたかと思うと、すぐさまあたりは闇に包まれた。
メールマガジン配信中
月1回程度、新刊情報などを配信しています。 登録&解除はこちら
twitterでもつぶやき中
twitterにて新刊速報や編集に関するさまざまなことをつぶやいています。
ご意見・ご感想
ラベンダーブックス編集部では、読者の皆様からのご意見やご感想を募集しております。出版してほしい作家・作品の情報などもお待ちしております。こちらのメールアドレスにお送りくださいませ。
![]()
作家・作品インデックス
カーラ・エリオットの
「罪深き集い」3部作
ラベンダーブックスより発売中
学問を愛し、知的で気高い侯爵未亡人たちが、危険でろくでもない放蕩者たちの毒牙にかかる!?









