青い月夜を駆けぬけて
ローリー・ハンデランド著/松藤留美子訳
920円(本体876円)/2009年3月27日発売
原題:BLUE MOON
RITA賞2冠の実力派、ローリー・ハンデランドが日本初登場です。本書は、2005年にパラノーマル部門でRITA賞を受賞! パラノーマル界の超人気作家たちが賛辞を寄せています。
あらすじ
ウィスコンシン州ミニワ署の女性警官ジェシー・マッケイドは、夜の森で、人を噛んだ狼を追跡する途中、全裸の美しい男に出会う。その翌日、狼に噛まれた被害者が狂暴化し、人を噛み殺すという事件が発生した。
ジェシーは捜査の過程で、全裸の男――ネイティブ・アメリカンのウィリアム・カドット教授に再会する。彼はジェシーの自宅に突然あらわれ、ジェシーの唇を奪う。思いがけぬ行為に、ジェシーは心乱れる。なぜあんなに美しい男が自分に興味を持つのか?
一方、署に狼ハンターなる人物が訪れ、新種の狂犬病が広がっていると警告。感染源を断つため、ジェシーを助手とし、狼狩りを開始する。仕事の合間に、カドットとの情事を深めていくジェシー……。青い月が昇る夜、大きな危険が待っていた。恐るべき真実と恋のはざまで燃えあがる、スリリングな傑作!
冒頭のご紹介
1
あの夏、わたしが発見した世界は、わたしの好きな白と黒の世界ではなかった。いやになるほど細かいグレーのグラデーションの世界。あの夏、世界は変わった。想像を絶するほど。
最初の真実が現れたあの夜、わたしはまだ田舎町の平凡な警官だった。退屈して不機嫌で、いつも何か新しいことが起きないかと待っていた。というより願っていた、そんな警官。二度とそんな願望を持とうとは思わない――今は。
パトカーの無線機が耳ざわりな音をたてた。「スリー・アダム・ワン、そっちの現在位置は?」
「町の東で、トウモロコシの成長を観察しているところ」
わたしは、今夜の通信指令係の口から発射される毒舌攻撃を待ちかまえた。またしても、期待は裏切られない。
「いまいましい満月が出てるじゃないか。こういう夜は、頭のイカれたやつらが何かと、ことを起こすに決まってるんだ」
思わずわたしの唇がピクッと動いた。ゼルダ・ヒュープメンは七十五歳。もしかしたら、もっと上かもしれない。大酒飲みでチェーンスモーカーの彼女は、そういうライフスタイルが珍しくもなく、死亡率アップの原因などとは誰も知らなかった時代の生きのこりだ。
死亡率アップに関する科学的データがゼルダにとどいていないのは確かだった。なにしろ、フィルターなしのキャメルを吸って、朝食にバーボンウィスキーをあおっているというのに、まだまだ誰よりも長生きしそうなのだから。
「きっとイカれた方々は、今ごろブルー・ムーンに備えて着々と準備してるんでしょう。もうすぐだから」
「何なんだよ。そのブルー・ムーンてのは? どうせ煮ても焼いても食えないもんなんだろ」
もう長いこと警察勤めをしてきたズィー(ゼルダの愛称)が、今も夜勤で働いているのは、なぜかって? このすてきな言語表現力のおかげだ。
「一カ月に二回満月があるとき、二度目の満月はブルー・ムーンって呼ばれるの。すごく珍しいんだ。なんかパワーもあるらしいし。まあ、その手のことに興味があるっていうなら、おもしろいかもね」
ウィスコンシン州の北部の森に暮らすということは、オジブウェ族の生きのこりのすぐそばで生きているということだ。そういうわけで、わたしは超常現象っぽい伝説のたぐいを、耳にタコができるほど聞かされて育った。
だから、正直もううんざりしている。わたしが生きているのは現代。伝説なんてものは歴史の本で、もうお腹いっぱい。仕事柄、まず必要なのは事実だと思っている。ミニワでは、話す相手によっては事実とフィクションの境界がぼやけてしまうことがあって、かなりいらつくこともある。
ズィーはあざけるように「ふふん」と笑ったが、そのままゲホゲホと激しく咳き込んだ。咳が止まるまで、わたしは忍耐強く待った。
「パワーなんて、あるわけないさ。さてと、さっさとハイウェイ一九九号線に行っとくれ。トラブル発生だよ、嬢ちゃん」
「トラブルって何よ?」わたしは赤色灯をONにしたが、サイレンを鳴らすかどうか決めかねていた。
「さあね。携帯電話で通報があったんだ。やたらと叫んでたし、ノイズも多かった。ブラッドが現場に向かってるよ」
もうひとりの夜勤の警官のことを聞こうと考えてたら、いつものようにズィーは、さっさと答えを口にした――まだ質問すらしてないのに。この仕事をしているといろんなことを見たり聞いたりするけれど、ときどきズィーの反応には「えっ」と思うようなことがある。
「あっちは、まだちょっと時間がかかるよ」ズィーがつづけた。「湖の反対側だからね。だから現場には、あんたのほうが先に着く。あとで経過を教えとくれ」
やたらと叫んでいたなんて、あまりいいニュースではない。だから、サイレンを鳴らすことに決め、さっきからエンジン音を響かせているパトカーに乗りこみ、ハイウェイ一九九号線へと急ぐことにした。
ミニワ署の人員は、わたしの他には保安官、六名の警官、それにズィーに加えて数人の若い通信指令係で構成されている。ただし、これは夏以前の話だ。いったん夏になると、人員は二十名にふくれあがる。みんな観光客のおかげだ。
わたしにとって夏は大嫌いな季節だった。いつも夏になると、金を持っている愚か者たちが二車線のハイウェイを占拠しつつ、南部の街から北をめざしてやって来る。湖岸で寝そべって、肌を真っ赤に焼くためだ。子どもたちは泣きさけび、犬は狂ったように走りまわる。ボートに乗ればスピードを出しすぎるが、頭の回転はおそすぎる。でも、町のバーやレストランやみやげ物屋にたんまり金を落としてくれる上客だ。
警官にとって観光業と同じぐらい悩ましいのは、夏の三カ月のおかげでミニワが地図上に存在していられるという事実だった。わたしのカレンダーによれば、地獄のシーズン三週目に突入したところ。
丘を越えたところで、わたしはブレーキを踏んだ。ガソリン食いで車線オーバー常連の高級SUV車が黄色の点線を横切るように停まっていた。一方のヘッドライトは赤々と点っているが、もう一方は真っ黒な穴だ。
どうして路肩に駐車していないのか、わからない。でも、人間の大多数は恐ろしく愚かなんじゃないかと、いつも疑ってきたことを考えれば当然かもしれない。
わたしはパトカーをゆっくり移動し、事故車にライトが当たるよう調節した。赤色灯をつけたまま、サイレンを切る。突然あたりに満ちた静けさが、けたたましい叫び声と同じように、かえって耳をつんざくような気がした。
アスファルトに当たる自分の靴音が、コツコツとさびしく不気味に響く。パトカーのヘッドライトが、運転席の人影をぼんやりと映し出していなければ、自分ひとりだとしか思えなかっただろう。それほど静寂は深く、夜の沈黙は完璧だった。
「こんばんは?」わたしは声をかけた。
答えはない。動く気配もない。
前方にまわり、歩道にころがっていたフロントグリルの破片とヘッドライト一個をひろい上げた。四万ドルは下らない高級車にしては、なんてもろいんだろう。
その点、警察支給のフォード・クラウン・ビクトリアは戦車並みに頑丈だからいい。乗り心地も戦車並みだけど。他の市ではSUV車に代えたところも多いかもしれないが、ここミニワでは、ガチガチに実証ずみのものにこだわっていた。
確かに四輪駆動の乗り心地はいい。でも、トランクにサンドバッグを入れてタイヤにチェーンを巻いたら、同じようなものだし、このクラウン・ビクトリアのエンジンにかなう車はなかった。これなら、どんな車にだって追いつける。急カーブを切ってもスリップしない。
「ミニワ署の者です」SUV車のバンパーの前を回り込んでから、ふたたび声をかけた。
ふと足もとを見ると、月あかりに照らされて黒光りする血の跡が、点々とついているのに気づいた。道路の反対側までつづいて、とぎれている。わたしは、ケガをした動物や人間でもいやしないかと、しばらく溝の中を探した。何もない。
事故車に戻ってドアを開けると、運転席にいたのは、なんと女性だった。わたしの経験では、この手の車を運転するのはたいてい男。さもなければ、サッカー・ママだ。でも、車内にはサッカーボールもなければ、子どもの姿もない。ドライバーの指には結婚指輪もない。ふうん。
「大丈夫ですか?」
額にこぶができているし、目がトロンとしている。すごく若くて、すごいブロンド。おとぎ話に出てきそうなお姫様タイプ。こんな大きな車に乗るには小柄すぎる。でも、ここは自由の国。誰が何に乗ろうと、その人の勝手だ。
エアバッグは作動していない。ということは、ろくでもない車をつかまされたか、ぶつかったとき、あまり速度を出していなかったってことだ。何にぶつかったのかは知らないけど……。
わたしは二番目の仮説を採用した。なぜなら、ドライバーはフロントガラスから血まみれになって舗道に投げだされたわけじゃなかったから。こぶができているのは、シートベルトを締めていなかったせいだ。だめじゃない。違反切符ものだよ。でも、この状態では証明はちょっと難しいだろう。
「あのー」もう一度声をかけてみた。が、女性はやはり何も言わずに、じっとこちらを見つめている。「大丈夫ですか? お名前は?」
女性が頭のほうに手を上げた。腕から血が流れている。わたしは顔をしかめた。車体前部の破損以外には、割れたガラスはないはずだ。しかも、破片はプラスチックに見える。どうしてケガをしたのだろう?
わたしはベルトにはさんだ懐中電灯を取り出して、女性の腕を照らした。親指と手首の間あたりに噛みつかれたような跡があった。
「何にぶつかったんですか?」
「カレン」大きく見ひらいた目の中で瞳孔が拡大している。ショックを受けているしるしだ。「カレン・ラーソン」
答えは正しいけど、質問がずれてる。冷えた夜の空気をつんざくように、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。ホッと一息つく。援軍は近い。
いちばん近い病院まで車で四十分はかかるので、ミニワでは生命に関わるようなケガや病気以外は、小さな診療所で間に合わせている。それでも、診療所は町の反対側だから、ゆうに二十分はかかる。しかも、ひと気のない暗い道を通ることになる。わたしがここの始末をつける間に、ブラッドがミス・ラーソンを搬送してくれるだろう。
しかし、ものごとには順序というものがある。まずは、誰かが――ブラッドでないにしても――衝突しないうちに、事故車を道路からどかさなければ。ありがたいことに、午前三時のハイウェイ一九九号線は、車がわんさか押し寄せるような道路ではなかった。さもなければ、道路はガラスの破片と血のしみだらけだっただろう。
「ミス・ラーソン、車を移動しないといけません。助手席に移ってもらえますか?」
まるで子どもみたいにおとなしく、彼女は横に動いた。わたしは急いで車をパトカーの近くまで移動した。救急箱をとってきたら、軽く消毒して応急処置をしておこう。とりあえずバンドエイドで傷口を止血しておけば、シートを汚さずにすむ。そんなことを考えながら、車から片足を出したとき、ミス・ラーソンが三つ目の質問に答えた。ふたつ目と同じく遅すぎるタイミングで。
「狼よ。狼にぶつかったの」
その瞬間、ズィーが口にするおきまりの愚痴が脳裏を駆けめぐった。最近、狼が問題になっているのだ。天然資源省が鹿の狩猟制限をかなりゆるめているにもかかわらず、鹿の頭数が驚くほど増えているために、餌に困ることがなくなった狼の数もまた、相当に増えている。狼は、ふつうは攻撃的ではない。でも、ケガを負っていたり狂犬病にかかっている場合は別だ。
「噛まれたんですか?」
答えはわかっていたが、義務としてきかねばならない。書類のため、というやつだ。
ミス・ラーソンはうなずいた。「わ、わたし、犬だと思ったの」
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