美しき海賊のプリンス
ガーレン・フォリー著/森野そら訳
980円(本体 933円)/2008年11月27日発売
原題:THE PIRATE PRINCE
ロマンティック・タイムズ賞を受賞した、ノンストップの海賊ロマンスです。英国軍との戦闘や、シークとの対決、王位の奪還など見せ場が盛りだくさんの1冊です。
あらすじ
フィオーレ王家が700年間治めてきた地中海の島国アセンシオンは、1770年、側近モンテヴェルディの裏切りにより、ジェノヴァに乗っ取られ、国王一族は皆殺しにあった――ただ一人、13歳の王子ラザールをのぞいて。敵に追いつめられ、崖から飛び降りた王子は、海をさまようなか、海賊船の乗組員に救われる。
15年後、モンテヴェルディが総督として支配するアセンシオンに、一人の海賊が忍び込んだ。それは、7隻の海賊船団を率い、<アンティグアの悪魔>と呼ばれるほどに成長した船長ラザールであった。
裏切った総督への復讐に、ラザールは総督の娘アレグラを誘拐し、殺そうとする。だが、あることがきっかけで、娘を殺すのは断念する。城への砲撃を開始し、裏切り者の一家全員を捕まえ、まさに処刑しようとするラザールの前に、アレグラが命をはって立ちはだかった……。
冒頭のご紹介
1
一七八五年五月
襲いかかる波をものともせず、海水でしみる目をかっと見ひらき、男は全力でオールをこいでいた。あらゆる方向から逆巻く波がボートにぶち当たっては銀色のしぶきを上げ、男をずぶ濡れにした。そのたびにボートは激しくゆれ、洞窟の入口にそそり立つ鋭い岩に激突しそうになる。焼けつくように痛む腕と肩を必死に動かして、男はこぎ続けた――転覆するものかと強く念じながら。そしてとうとう、とがった巨石の間をボートは通りぬけた。やったぞ! 男は獣のような声をしぼり出した。低い岩天井の下をくぐり抜けるように、ボートは洞窟の奥へと静かに進んでいった。
月あかりに照らされた湾内では、仲間の船が七隻、錨を下ろして男を待っている。
暗闇に包まれた洞窟の中で、男は額の汗を腕でぬぐい去ると、ゆっくりと息をつき、たいまつに火をともした。ここに侵入したことを知られる可能性はなかった。天井からぶら下がっていた無数のコウモリが、いっせいにキーキーと鳴き声をあげて翼をばたつかせた。やがてボートを岸に寄せ、男は地面に飛び降りた。
あれから十五年……。
ラザール・ディ・フィオーレ王子がアセンシオンに足を踏み入れるのは、十五年ぶりのことだった。
人生の半分近くになる、と彼は思った。もっとも、この裏稼業は人生といえるような代物ではなかったが。
そして、足もとできらきらと輝くなめらかな砂を見つめ、すり減った黒いブーツのかかとで踏みしめると、片ひざをついて一握りすくい取った。日焼けしてごつごつとした手の中の砂。遠い目をして彼は見た。指の間からさらさらと砂が落ちていく。みんな同じだ。
人生も、家族も、みんなこの手からすり抜けていった。
夜が明ければ、自分の魂も消えるだろう。
砂がすべて落ちると、手のひらには黒くて硬い小石がひとつだけ残った。彼は小石をぽとりと落とした。
何もいらない。
立ち上がると、剣を下げた革ひもを肩にかけ直した。ここに来るまでの一時間、濡れた革ひもがあたってこすれ、黒いヴェストからのぞいた胸の皮膚が赤むけていた。ヴェストの内側に革ひもでつるした銀のフラスコからラム酒をぐいっとあおると、胃袋に染みわたる酒の刺激に一瞬たじろぎ、さらにもう一口あおった。
たいまつを高く掲げて洞窟を見まわすと、秘密の地下道に通じる入口が目に映った。何世紀も昔、一族のために岩を穿ってつくられた地下道だ。自分がこの場所を知る最後の生きのこりだと思うと、奇妙な気がした。これもまた、偉大なるフィオーレ王家の伝説のひとつだった。
荒々しく掘られた入口のところで、そっとたいまつを手前にさし出して地下道の闇に目をこらした。広々とした海原に慣れた男の目には、いかにも狭苦しい場所だ。
「さあ、行くんだ。おじけづいたか」重苦しい沈黙を破るように、声を出す。
そして、むりやり中に足を踏み入れた。
地下道の暗い壁をつたって流れる水が、たいまつの光を受けてぎらりと光る。炎の投げかける影が、拳のようにごつごつした岩肌にゆがんだ形を映しだす。光の先には闇が満ちていた。だが、地上では敵が華やかな宴を開いているまっ最中だとわかっていた。
ラザールは、今すぐにでも宴をぶち壊してやりたかった。出口までもうすぐだ。外へ出れば、モンテヴェルディの張りめぐらした警備をかいくぐって、封鎖された城壁の内側に侵入できる。
急な坂道を三十分ほど息を切らして登りきったところで、地下道は二手に分かれた。左の道は平らで、右の道はさらに登りだ。右を選べば、ベルフォルテ――山の上にある城の廃墟――に行けると、彼は知っていた。
なつかしいベルフォルテを一目見たいという気持ちはあったが、感傷にふけっている暇はなかった。ためらうことなく、ラザールは左の道を選んだ。
やがて、さわやかな風が頬をなで、前方上にダイヤモンドをちりばめたような黒々とした夜空の切れはしが見えてきた。壁から流れてできた水たまりにたいまつをひたすと、ジュッと音をたてて炎が消えた。暗闇の中でラザールは、狭い出口をめざして地下道の壁を登りはじめた。
茨の茂みが洞窟の入口を外側から隠していた。あとを残さぬよう細心の注意を払って茂みから抜けだすと、空き地に出た。ベルトから刃の湾曲したムーア風ナイフを抜いて、ゆっくりと歩を進める。あたりを見まわすうちに、驚嘆の思いが心に満ちていく。
わが故郷よ!
あらゆるものが輝く月の光に照らされていた。斜面にはオリーブ畑、ブドウ園、オレンジ畑が段をなして広がっている。かぐわしい大地のにおいが夜風に乗って鼻腔をくすぐる。背後には、なつかしいローマ時代の城壁がどっしりとかまえ、古びた石の表面は苔におおわれていた。千年前から変わらず今もなお、王国の心臓部を外敵から守っているのだ。岩肌の裂け目から想い出がよみがえってくる。
――われらは王国の礎なり、王子よ、われらはフィオーレ一族ぞ。忘るることなかれ……
ラザールはよろめきながら壁に近づいた。あたりは大地の音楽に満ちていた。コオロギとカエルの声がする。遠くのほうで、ため息のように寄せては返す波の音がする。何ひとつ昔と変わっていない。
切り裂かれるような心の痛みを感じて、一瞬、目を閉じて顔を上に向けた。耐えがたい想い出があざやかに脳裏によみがえる。
すずやかなそよ風が吹きわたってブドウの葉をそよがせると、ブドウ園やオレンジ畑や草原がいっせいにざわめいた――まるで愛する者たちの霊が、今は亡き王や王妃たちの霊が、出迎えの声をあげるかのように。頭上に霊たちがただよい、いっせいにささやきかける。われらの仇を討て、と。
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